HISTORY

 


初代 佐藤伴三郎が千束村(現在の浅草2丁目)にて建築請負業を創業、当時の流行の発信地である浅草で数奇屋建築をはじめとする数多くの建物の施工に携り、浅草の著名な建築請負業者として認知されるようになりました。
   
二代目 佐藤 保蔵が代表に就任。柳橋の料亭や浅草花屋敷を始めとする当時の浅草界隈の名だたる建物の建設に携わり、現在の「だいやす建設」の企業体としての基盤を作りました。
    
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※写真をクリックすると拡大出来ます。
明治40年頃の浅草仲見世。写真中央に浅草寺が見える。まだ和服姿の人々が多い時代でした。
明治末期の浅草六区。左側の大きな建物が、浅草花屋敷の経営者大滝勝三郎が開いた活動写真舘<大勝館>である。実業家であった大滝勝三郎は当社の重要な顧客の一人であり、花屋敷をはじめとする多くの建物を当社に発注した。
明治20年代の花屋敷である。現在の遊園地からは全く想像できない緑多き庭園であった。
戦時下の象潟建築業組合(今の浅草建築組合)の役員。二代目佐藤保蔵が組合長として写真中央旗の右側に、三代目佐藤初太郎が後列左端に写っている。佐藤初太郎はこの後、陸軍技術将校として中国大陸に渡った。
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三代目 佐藤 初太郎が代表に就任。他社にさきがけて鉄筋コンクリートを用いた施工を始めました。社寺建築・事務所建築・工場建築・高級邸宅等幅広い分野に工事を拡大し、昭和24年に個人企業を法人に改組し、「だいやす建設株式会社」として今日に及んでおります。
   
四代目 佐藤 勝利が代表に就任。顧客の皆々様のご庇護により、創業以来培って参りました経験と技術を生かし、より近代的な建物を施工するに至りました。
   
創業135周年、会社設立55周年にあたり、だいやす建設株式会社 と社名変更しました。
   
創業145周年、会社設立65周年にあたり、台東区上野桜木に新社屋竣工、本社移転致しました。
   
資本金 50,000,000円に増資致しました。